東日本大震災あれから10年

今日、職場のスタッフが朝のミーティングで、10年だね。九州から、その第1報、ニュースで知った時、何をしていたの、とみんなに聞いた。

みんな、結構詳細に覚えていた。自分ももちろん。職場で、同僚たちとテレビの画面を見た衝撃。津波が平地を駆け上っていて、田畑を飲み込んでいく衝撃。今でも鮮明に覚えている。

 

その年の12月クリスマスの頃、仕事関係の支援で大船渡と陸前高田に1週間ほど行った。9ヶ月も過ぎていたけど、町の光景は衝撃だった。今でも、あの光景はとても忘れられない。

陸前高田、震災の爪痕

一本松、も、すでに枯れていて、保存の準備がされていた。

職場の臨時の建物は、山の手にかなり上ったところ。海は遥か彼方、平野の向こう、数キロ先にかすかに見える。

でも、ここから、ほんの100mほど海側に歩くと、家の一階部分が津波で完全に壊れていた。こんなに高いところ、遠いところまで津波が上がってくるなんて、誰が予想しただろう。目の前の田んぼは、塩害で当分使えない、と言っていた。

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そのあと、石巻まで海岸線を車で走っていたら、岬を登っていく度に、昔の時代に、この高さまで津波が上がってきました、という表示。でも、街は全てそこより遥か下にある。どう考えたらいいのだろう。色んな思いが心の中に。

 

仕事中、少し空いた時間に、職場の人が当時のことを話してくれた。当時は職場が平地にあって、4階建、ギリギリでみんな上の階に登って助かった。普通に話をしてくれていた、と思ったら、次第に涙を流し始めて、、説明を続けてくれた。

 

もっともっと、色んなことが、、。

アレから、心は何かにつけてあちらに向けてはいるけど、実際何ができたのだろう。

自分は、何をしているんだろう。

改めて、考えさせられる。10年、、、、

 

余談

ちょうどこの年、2011年の1月にランニングを始めた。支援に行った時は、ようやくいくらか走れるようになって、走る気に溢れていた頃だった。
大船渡では、毎朝早起きして、凍った雪道を朝ランしたなあ、と思い出した。